コカ・コーラ - Wikipedia
コカ・コーラ (Coca-Cola) は、ザ コカ・コーラ カンパニーが製造販売するコーラの名称である。別称、コーク (Coke)。ともに商標登録されている(日本の商標登録番号はそれぞれ第106633号、第421178号)。
19世紀にアメリカ合衆国で発明された世界初のコーラ飲料とされる[1]。ジョージア州アトランタ発祥。現在も本社はアトランタにあり、同地にある「World of Coca-Cola」という博物館には多くの観光客が訪れる。博物館では世界各国のコカ・コーラの味を比較できる。
コカ・コーラの名称の由来は、コカの葉(俗に言うコカイン)とコーラの実(当時はほぼアフリカ産)を原材料に使っていたことによる。法律で禁止されるまでは、微量ではあるがコカイン成分は実際に入っていた。ジョン・ペンバートン博士の友人で経理担当のフランク・ロビンソンが命名した。ただし、どちらも現在のコカ・コーラの主成分ではなく、コーラの実も他のコーラ飲料と同様に風味にほとんど影響を与えない微量である[2]。
ザ コカ・コーラ カンパニーを参照。
[編集] コカ・コーラの製造
ザ コカ・コーラ カンパニーで調製されたコーラの原液が世界各地のボトリング会社に流通し、現地各社によってコーンシロップ、砂糖などで薄められ、更に炭酸水で割られて、瓶詰め・缶詰めされ販売される。
- 材料
コカ・コーラの風味はトップシークレットの香料7xと柑橘系およびスパイス系のフレーバー7 - 8種類程度の配合によるものと言われる。このうち7xの成分はコカ・コーラ社のトップシークレットであり、成分を知っているのは最高幹部のみである。
7xはレモン・オレンジ・ナツメグ・シナモン・ネロリ・コリアンダー、そして脱コカイン処理されたコカの葉の7種(またはコカの葉がない6種)をアルコールで抽出したものだと言われている。この7xとその他のフレーバーの配合レシピのことを「フォーミュラ」と呼ぶ。(後述)
- レシピ(フォーミュラ)
コカ・コーラ社のフォーミュラは非公開であり、フォーミュラをについての文書は1919年からアトランタの某銀行の金庫に融資の担保として厳重に保管されていた。 その後、1984年にカンザス計画によって1度だけフォーミュラが変更されたが、抗議運動により3ヶ月で元に戻されて以降は変更されていないとされている(コカインとカフェイン量を除く)。
このため、その成分や内容については真偽不明の情報がしばしば出回っており、後述のコークロアの元となった。このフォーミュラを基にしてOpen Colaという製品が作られたが、それでもコカ・コーラの味や香りを完全に再現することはできなかった。
2011年2月、アメリカのラジオ番組This American Lifeが、コカ・コーラ社の最高機密とされる香料「7x」の調合割合を発見したと公表した[3]。同番組のプロデューサーが発見したザ コカ・コーラ カンパニーの地元紙The Atlanta Journal-Constitutionの1979年2月8日付けの記事には、コカ・コーラの発明者ジョン・ペンバートンが手書きしたレシピとされる写真が添えられていた[4]。写真から読み取れるレシピは、以下の通りである[3]。
- コーラシロップ
- 7X 香料(5ガロンのシロップに対し、2オンス混ぜる)
これに対しザ コカ・コーラ カンパニーは「アトランタの銀行の金庫に保管されている本物のレシピと、写真のレシピは異なる」とコメントし、このレシピの真実性を否定した[5]。
2011年12月、創業125周年記念事業の一環として、アトランタに作ったコカコーラの博物館・「ワールド・オブ・コカ・コーラ」の一角に金庫的な保管施設を造り、アトランタの某銀行からフォーミュラを取り戻してこちらに移した。フォーミュラは公開されていないが、この施設は一般人でも見学する事が可能になっている。[6]。
[編集] コカ・コーラに関する都市伝説
コークロアも参照のこと。
"ゲームを窒息させる"
謎を抱えたままと大衆に迎合されたコカ・コーラは、その謎に関する都市伝説も数多く生んだ。民間伝承(フォークロア)とひっかけて、コカ・コーラに関する都市伝説は諧謔的にコークロアと呼ばれている(ブルンヴァン等)。
多くの都市伝説同様、コークロアもそのほとんどが部分的に真実を含んでおり、それを元に誇張されているのが特徴である。以下、代表的なコークロアを解説する。
[編集] コカ・コーラの瓶は女性のボディーラインを参考にした
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コカ・コーラの独特の「くびれ」のある瓶(コンツアー・ボトル)は、女性のボディーライン、または、この当時流行したスカートを参考にデザインされたものと言われているが、この話は事実ではない。
この特徴的な形状の瓶にした理由は、暗闇で触ってもすぐにコカ・コーラとわかるようにするためと、当時無数のコカ・コーラの偽物が出回ったので類似品対策として複雑な形の瓶にしたためである。
アメリカン・スポーツカーのひとつ、シボレー・コルベットの3代目(1970年代)モデルは、大胆に膨らんだ前後フェンダーとくびれたように見えるボディ中央部がコーラのビンを連想させたことからコークボトルというニックネームがある。
また、自動車レースフォーミュラ1のレーシングカーは、空気抵抗を減らすために後輪周辺のボディの形状がちょうどコーラのビンを連想させる絞り込まれた形であるため、これもまたコークボトルと称される。レーシングカー・デザイナー、ジョン・バーナードが1983年のマクラーレンMP4/1で採用すると、またたく間にその形状は他のチームにコピーされ、現代においてはすべてのフォーミュラ1レーシングカーはコークボトル形状である。
ちなみに、ヴァージン・コーラのペットボトルのデザインは、女優パメラ・アンダーソンのボディラインを模して作られている。
[編集] コカ・コーラには辛口と甘口がある
コカ・コーラのガラス製瓶には、側面下部に四角型または丸型のへこみが刻印されていた。刻印が四角型の瓶は炭酸の強い「辛口」であり、刻印が丸形の瓶は炭酸の弱い「甘口」であるとする都市伝説がかつて存在した。
実際には、瓶の製造工場ごとに異なる刻印がなされていただけであり、コカ・コーラはリターナブル瓶であったため、ボトラーによる回収再使用過程において、刻印の異なる瓶が混ぜられて出荷されたものであった。この刻印は瓶表面にコーラのデザインをプリントするときに瓶成形金型の割り痕の上にプリント部がこないように方向を規制するために使われていたものである。瓶製造メーカーの工場設備によって丸型・四角型のほうが固定しやすいといった違いがあったためである。ちなみに丸型が石塚硝子製、四角型が日本山村硝子製となっている。 また当然ながら、同じ商標・同じデザインのコーラの風味に(甘口・辛口と評されるような)大きな差異はない。
[編集] サンタクロースが赤い服を着ているのはコカ・コーラのCMが元祖
この都市伝説によれば、サンタクロースはもともとの伝承では緑の服を着ていたが、コカ・コーラ社がCM(看板)でコカ・コーラのシンボルカラーである赤い色の服を着たサンタクロースを登場させたため、赤い服のサンタクロースが広まったことになっている。
日ラピッドスタート減量にポンドを失う
しかし、現在のサンタクロースのイメージの元となったとされる、ニューヨークの画家、トーマス・ナストが19世紀に描いた聖ニコラウス像において、ニコラウスは赤いマントを羽織っており、このマントが変化してサンタクロースの赤い服になったのだという[7]。
また、1914年の日本の児童雑誌『子供之友』には、現代のサンタクロースと全く同じイメージの、大人の背丈で白髭に赤い服を着たサンタクロースが描かれている。さらに当時の輸出用クリスマス用品のサンタクロース人形もこの姿でもあった(当時の日本は、第一次世界大戦で疲弊した欧州に代わって、世界一のクリスマス用品生産国となっていた)。従って遠く日本にも伝わるほど定番となっていた赤い服のサンタクロースの姿を、1931年になってからコカ・コーラ社が広告に採用した、ということが事実である[8][9]。
[編集] コカ・コーラは民主党、ペプシコーラは共和党
コカ・コーラ社は民主党と親しく、ペプシコーラ社は共和党と親しいため、「米大統領が代わると、ホワイトハウスのコーラも代わる」とする都市伝説があるが、現実には共和党出身の大統領だったドワイト・D・アイゼンハワーと親しかったりするなど共和党とも無縁ということはなく、あくまで噂の範囲を出ない。ちなみにコカ・コーラの筆頭株主であるバークシャー・ハサウェイ社を率いるウォーレン・バフェットは民主党支持者としても有名である。
[編集] コカ・コーラの成分
コカ・コーラ社が香料のレシピを公開していないことから、原材料に関しても様々な都市伝説が生まれている。
そのひとつに、コカ・コーラのレシピを知っているのは2人の重役だけというのがある。2人である理由は1人が突然事故などで死んでももう1人が知っているので存続できるからである。それ故この2人が同じ飛行機に搭乗することはないという。[10]。
ブタの血が材料に含まれているという噂が流れたときには、ブタの食用を禁じるイスラム教徒への売り上げが激減したという[2]。
[編集] 発がん性物質
2012年3月、コカ・コーラに使用されているカラメル色素に発がんリスクが認められた化学物質を基準値以上に含むことが判明した。このカラメル色素に含まれる化学物質4-メチルイミダゾールは一日あたりの摂取量を29mgと定められているが、コーラ355ml缶1本あたり基準値の3倍超の100mgが含まれていた。これに対し、このカラメルを使用していたコカ・コーラ社とペプシコ社は製法を変更するとの表明を行っている。[11]
[編集] 月面のコカ・コーラの瓶
オーストラリアのバーク地方のみに流布されている都市伝説である。アポロ計画で月から中継された映像で、宇宙飛行士がコカ・コーラの瓶を蹴っていたというものである。月着陸10周年記念に放送されたオーストラリアのラジオ番組内でのギャグから広まったものと見られている[12]。
[編集] 日本におけるコカ・コーラのバリエーション
日本では、大正時代に輸入された。 以下の商品が販売されている(ただし、地域によって異なることがある)。なお、以前はパッケージに記載されていた販売者は「コカ・コーラ ナショナルビバレッジ(株)」となっていたが、事業再編に伴って、2008年12月以降に発売された製品(改良品を含む)の販売者は「コカ・コーラ カスタマーマーケティング(株)」に変更されている。
ノースカロライナ州のペインクリニック
[編集] 現行
[編集] 過去の商品
[編集] 日本におけるこれまでのコカ・コーラCM
1968年のサーフィン編までは白黒で制作されていた。1968年のテレフォン編で初めてカラー化された。
[編集] 品目・出演タレント等
- 1962年
- 1964年
- コカ・コーラ 井上順
- 日本における初めてのコカ・コーラCMタレント
- 1967年
- コカ・コーラ 加山雄三
- 1969年
- 1975年
- 1976年
- 1977年
- 1979年
- コカ・コーラ(夏のキャンペーン) 沢田研二
- 1982年
- 1983年
- 1985年
- コカ・コーラ BLACK CATS
- 1987年
- 1989年
- 1990年
- 1994年
- 1995年
- コカ・コーラ (夏男・夏女) 鷲野由美
- コカ・コーラ 星野真理
- コカ・コーラライト シェリー
- 1997年
- コカ・コーラ・ライト(電話)りょう
- コカ・コーラライト(軽い気分)りょう
- 1998年
- コカ・コーラライト(ドライブインシアター)りょう
- コカ・コーラライト(髪を切る)りょう
- コカ・コーラライト(気分のダイエット)りょう
- コカ・コーラライト(観覧車)りょう
- 1999年
- 2001年
- コカ・コーラ(No Reason! キャンペーン) 桑田佳祐
- 2002年
- コカ・コーラ(No Reason! キャンペーン) 桑田佳祐
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- コカ・コーラ(つながる瞬間にコカ・コーラ) BENNIE K
- ダイエットコカ・コーラ 「私はゼロで行く編」 真山景子
- 2006年
- 2007年
- コカ・コーラ 「ハピネスチョイス:からかわれてる? 告白されてる? 編」 芳賀優里亜
- ノーカロリーコカ・コーラ リア・ディゾン
- コカ・コーラ ゼロ YONJI
- 2008年
2008年7月にはエイベックスより1962年から1989年までのTVコマーシャルを収録した『The Coca-cola TVCF Chronicles』(DVD)がリリースされている。これによれば1968年から1990年までマッキャンエリクソン(広告代理店・1968年当時は博報堂との提携企業)の坂田耕がTVCM制作にかかわっていた。
[編集] 歴代のCMソング
- 1962年
- 「コカ・コーラの唄」(フォー・コインズ)
- 1970年
- 1972年
- 1973年
- 1974年
- 1977年
- 1978年
- 「Come on in. Coke'78」(トランザム、サーカス)
- 1979年
- 「Come on in. Coke'79」(トランザム、サーカス、山下達郎)
- 1980年
- 「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」(矢沢永吉)
- 「Come on in. Coke'80」(サーカス)
- 1982年
- 「YES MY LOVE −愛はいつも−」(矢沢永吉)
- 1983年
- 1984年
- 1985年
- 1986年
- 「太陽にPUMP! PUMP!」(EPO)
- 1987年
- 1988年
- 1989年
- 1991年
- 「さわやかになるひととき」(楠木勇有行)
- 1993年
- 「Lyric Logo」(楠木勇有行)
- 「ふたりのオルケスタ」(久保田利伸)
- 1994年
- 1995年
- 「情熱男・灼熱女(ナツオトコ・ナツオンナ)」(永岡昌憲)
- 1999年
- 2001年
- 「波乗りジョニー」(桑田佳祐)
- 「白い恋人達」(桑田佳祐)
- 2002年
- 「可愛いミーナ」(桑田佳祐)
- 「ROCK AND ROLL HERO」(桑田佳祐)
- 「影法師」(桑田佳祐)
- 2003年
- 「永遠のBLOODS」(KinKi Kids)
- 「ハダシの未来」(嵐)
- 2005年
- 2006年
- 2007年
なお1991年以前のCMソングは「コカ・コーラCMソング集 1962-89」(ジェネオンエンタテインメント、2005年)、「コカ・コーラCMソング集Super More」(ジェネオンエンタテイメント、2006年)という2枚のコンピレーション・アルバムにまとめられている。
[編集] キャッチコピー
ほとんどが日本国内で独自に考案されているが、英文コピーの中には本国アメリカでも高い評価を受けたものが多い。
- 1962年-1969年 「スカッとさわやかコカ・コーラ」 - このコピー自体が商標登録されている(第1620406号)。
- 1970年 「Big New Life」
- 1971年-1972年 「The Real Life」
- 1973年-1974年 「うるおいの世界」
- 1976年-1980年 「Come on in Coke」
- 1981年-1984年 「Yes Coke Yes」
- 1985年-1986年 「Coke is it!」- ニュー・コーク発売の際に世界共通のキャッチコピーとして使用。
- 1987年-1990年 「I feel Coke」
- 1991年-1992年 「さわやかになるひととき。」
- 1993年-1998年 「Always Coca-Cola」
- 1999年 「Live the Moment」
- 2000年 「Tsu・Na・Ga・Ru」
- 2001年-2003年 「No Reason Coca-Cola」
- 2004年 「Special Magic」
- 2005年 「つながる瞬間(とき)に。Coca-Cola」(提供クレジット用のキャッチとしては「人と人をうるおすコカ・コーラ」)
- 2006年 「Coke,please! - スカッとさわやかコカ・コーラ」
- 2007年~ 「the Coke Side of Life(Cokeのきいた人生を)」 - 世界共通のコピーを使用。
[編集] (^^)検索
コカ・コーラのTVCMの中で、CMの最後にインターネットの検索窓を模した枠のなかに「(^^)」と表示され、検索ボタンがクリックされる映像が含まれたものがある。これは、「(^^)」という文字を入力して検索するよう促しているものであった。
[編集] 「Grand Theft Auto」酷似CM
2006年に、アメリカのコカ・コーラのCMでゲームソフト「Grand Theft Auto」(GTA) のゲーム画面にそっくりのCMが放映され、その動画がYouTubeにアップされることで日本でも視聴可能となった。CMの内容があまりにもGTAとかけ離れた平和的かつフレンドリーな描写になっており、視聴者の笑いを誘った。なお、一部のシーンにはGTA的な要素(クルマのドライバーを強制的に降ろすなど)も見受けられる。このCMは2007年から日本でも、コカ・コーラ公式サイトでアメリカ放映版がそのまま視聴できた他、テレビCMでは30秒に編集され「いい人のフリ? それとも、ホントにいい人?」編として放送された。
[編集] コカ・コーラが採用されている外食産業
[編集] かつて採用されていた外食産業
[編集] コカ・コーラが採用されている映画館
[編集] 関連項目
註
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